長崎の原爆の日に
きよしさんのレポートは携帯電話でアクセスした人には見ることができないかも。あれだけ写真は1メガ以下で!って言ってたのに・・・・前回の石巻ボランティアの教訓が生かされてないな~。6月に石巻に行った際の写真や動画は、秋の活動者会議で見せるからね!
と、いうことで、今日は66年前、長崎の地に原子爆弾が落とされた日です。8月6日の広島、米軍は福岡県の小倉を次の標的にしていたようですが、天候が悪く、長崎へ。そうした状況が先日のNHKの特集番組で紹介されていました。
原水爆禁止世界大会に参加した仲間は、無事に帰ってきたでしょうか?3日間ではありましたが、長崎の地でそれぞれに感じたことを地元で平和運動に、青年の運動に活かしてほしいと思います。
東日本大震災による原発事故が大きな問題になっていますが、うちの清水‘ボス’書記次長は今日、こんなことを言っていました。
鉄腕アトムの放送が始まったのが、1952年(昭和27年)、ゴジラの映画が1954年(昭和29年)・・・アトムはその名の通り、原子力で動くロボット、ゴジラは第5福竜丸の事故の後、原子爆弾で巨大化して日本を襲うという設定。いずれも原子力に関連しているとの話。
なるほど!、と思い検索してみると西日本新聞の社説に同じような話が出ていたし、アトムによる原子力の平和利用については泉谷しげる氏のブログにも出ていました。
泉谷しげる氏は清志郎氏のサマータイムブルースのCDにも出てきて♪あんたも最近、抜け毛が多い♪のところにセリフが入っています。あのCD持ってたんだけど、どうしたっけな?
さらに清水‘ボス’書記次長は、宇宙戦艦ヤマト(1974年・昭和49年)につながるともいいます(その辺に興味のある方は調べてみてください・・・放射能除去装置がカギですね)。そして、アトムとゴジラまでは出てくるだろうけど、ヤマトは西日本新聞にもないね、とドヤ顔。
いつのまにか、意識的に、原子力って平和利用・・・として刷り込まれてきたのか・・・とあらためて思いました。
明日は東京都連の執行委員会。全建総連会館は高田馬場にあるのですが、鉄腕アトムのストーリー設定では科学省が高田馬場にあって2003年4月7日にアトムが誕生します。
JR高田馬場駅の放送はアトムのテーマソング、駅前から商店街の街灯には手塚作品のキャラクターがいっぱいです。
手塚治虫がアトムを通じて原子力の平和利用を望んだのかは不確かですが、彼は1989年に亡くなるまで戦争を憎み、平和を願い続けたことは確かです。
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