大会を終えて想うこと
何度か紹介しているように、昨年の定期大会は3月13~14日(日・月)に予定していましたが、3月11日の東日本大震災、12日の長野県栄村での地震発生、頻繁に続く余震・・・津波警報・注意報も解除されず・・・。
参加者の安全確保を優先し、大会は一週間の延期。宿泊はせず、都内で1日開催。
よって専門部の分科会もありませんでしたので、しっかりと方針を議論する場がありませんでした。
そして、そのまま5月まで部会はなく、1月から5月までの4ヶ月間の空白が生じました。
もちろん、毎月の中央執行委員会はあるのだけれど、文字、文書だけでは伝わらない。
部長たちに集まってもらい、言葉で伝え、受け止めてもらう。
このことがホントに大切だと感じた1年間でもありました。
本部の専従役員となって今年で10年目に入りますが、新たな専門部を担当して、1年後に迎える大会は、これまでの方針と到達点を確認しながら、やっと自分の方針(もちろん、みんなで議論したものですが)を打ちだすことができる場なのですが、1年のブランクを経て、やっと大会分科会をおこなうことができました。
なかなか伝わらないだろうけど、専門部を担当するものとしては、大会の全体会議よりも分科会をどう運営するかが気がかりで、コンディションも整えておきたい・・・そんな‘構え’を持って臨んでいます。
※もちろん、書記としての裏方仕事が‘好き’な民としては、係の間の‘すきま’を埋めたり、あとで指摘されやすいような対応(来賓の受付から控室への誘導とか、わがままな御用聞き・・・etc)は、コソコソとやっているのですが・・・。
何年か同じ専門部を担当すると余裕もできますが、後継者対策部は2年間担当してはじめての分科会。
泊まり会議の2日目の午前中の会議、若手が中心の会議でいかに眠らせずに運営するか、そして、何を持ち帰ってもらうか・・・その想いはつきません。
3時間半あまりの会議もメリハリよく提案し、こまめに休憩をとって運営することで、なんとかなるとは思っていましたが、みんな眠いはずなのに集中してくれてました。
ホントにありがたいっす。
議案の提案をしてて、あらためて思ったのは、別に熱はこもってないけど、青年部の指導・援助のとこ。
文章は本部担当書記時代の約10年前に書いた議案から引用したりしたけれど、自分でもビックリするくらい、サラサラと言葉が出てくる。
当時は議案を書いても提案は役員だから、自分では提案してないんだっけ・・・と想い返し、やっぱ、この分野はライフワークっす。
ところで、1日目の全体会議の際に大会案内版の各支部からの参加者名簿を見て、民と豊さんが知る過去20年くらいの本・支部青年部役員がどのくらい参加してるかをチェックしたのがこの一覧表です。
申し訳ないけど、名前だけで見てるので、年代が間違ってるかもしれないし、支部で活動していた人もいるかもしれません。
また、たまたま、この大会に参加することができなかった支部もあります。調布は青年部出身の役員がたくさんいるから、まあ、たまたまなんだと思います。
でも、ハッキリいうけど、南部ブロックの青年部は本部の青年部大会にも出ていなかったし、いまだにブロック会議が開催されてないから、名前すらも分からないのです。
一方で、どの年代でもコンスタントに支部役員となって大会に参加している支部はたったの3つ・・・目黒、杉並、そして東村山。
分かる人は分かると思うけど、伝統的に青年部が大切にされている、青年部員を大切にする支部。
そして、青年部の活動を知っていて、育成できる役員・書記がいる支部だと思います。
年代で空いた穴は、後継者対策部が主体となって同年代を組織するのですが、これからは年代に穴をあけないことも同時進行しないと同じことの繰り返しです。
こんなことを支部の担当書記時代からずっと言ってる気がする。
ちなみにひさしぶりにブログを更新した、東村山支部青年部は‘未来につながる青年部づくり’がスローガン。
早いなぁ~、もうメーデーのデコレーション製作に入ってるよ。すげえっす。
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