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2012年7月12日 (木)

つながっている被災地への想い

気がつくと、原水爆禁止世界大会in広島まで1カ月を切ってましたね。

東京がこんなに暑いんだから、広島の夏は・・・う~ん、何とも言えず、暑いっす。

はじめて広島に行ったのが、1990年。杉並支部から、のちに本部の青年部長となる中村隆幸さんと一緒に本部の代表団に加わっていきました。

そしたら、杉並の地域の代表団は保育園の先生や区の職員労働組合(区職労)の青年部から若い人(もちろん、女性だよ)がたくさん来ていて、あちゃ~って感じ。

それを教訓に翌年からは、地域の代表団に青年部から2人ずつ出すようにしました。

その結果、地元に帰って来てからも若い子たちの交流は続くようになったし、区職労青年部との交流も深まりました。

原水禁大会はね、本部代表団よりも地域から参加した方が、絶対に交流が続いていくんだよ。っていうのが、民の経験上、明らかになっています。

その後、本部に異動した2000年には事務局として再び広島へ。

そして2年前の2010年には当時小学4年生だった次男の洵人を連れて三度、広島に行きました。

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原子爆弾によって、町が焼け野原となった状況が平和資料館に模型として展示されていますが、それとほぼ同様に建物の土台だけが残った状態をリアルに見ることになった2011年。

4月に訪れた宮城県と福島県の海岸に近い住宅地は、住宅の基礎(土台)部分だけが残ったままで、それ以外はすべて津波によって流されてしまった。

それが1軒や2軒じゃない。

町全体が津波に襲われて、流された。

言葉がでなかった。

「行くか?」とボスに言われ、すぐさま「行きます」と決めた宮城、福島への支援物資の輸送が4月。

「行くぞ!」と相棒・きよ氏さんを連れて、週末ボランティアに向かったのが6月の石巻。

さらに、きよ氏さんが青年部の仲間とともに8月にふたたび石巻のボランティアに向かった。

弾丸ツアーながらも、青年部の仲間は、それぞれの胸に想いを抱いて帰ってきた。

「また、必ず、被災地に行く」・・・誰しもが心に決めたことだと思う。

昨年の本部青年部役員であった勇太くんの支部、目黒支部が明日(13日)の夜、岩手県に向かう。

地元の「けせん建設職組合」の仲間のみなさんと一緒に住宅デーを開催するためだ。

今年度、青年部長の笠原鉄平の支部、江東支部も被災地に行くというし、8月は西多摩の青年部が再び岩手県の大船渡へ、9月は杉並も福島県南相馬市に行くというし、多摩北ブロック(小平、清瀬久留米、西東京、村山大和、東村山)の青年部も秋に行くことを予定している。

昨年は、被災地の支援活動を通じて、現地に行った仲間が、その想いを広げてきた1年だった。

今年もその想いはしっかりとつながってる。

夏から秋にかけて、ずっとつなげるよ、支援活動と仲間の想いを。

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