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2013年3月11日 (月)

震災・津波・原発事故から2年の日に

震災から2年の日ですね。

2011年3月11日、午後2時46分、あの日のことを覚えていますか?

自分自身のこと、家族のこと・・・

つながらない電話・・・

職場からの帰路・・・

テレビに映し出された映像・・・

繰り返し続く余震・・・

そのあとの計画停電やガソリン不足・・・

お店から電池がなくなり、納豆やヨーグルトもなくなった。

今ある生活が「当たり前」じゃないことを気づかされた日ではなかったですか?

今日だから思い出すんじゃない。

今でも大変な生活を余儀なくされている人たちがたくさんいる。

地震や津波のなかで助かった方々のなかでも、亡くなられている人たちがたくさんいる。

被災地や現地でがんばっておられるみなさんのことを忘れない・・・。

でも、テレビや新聞で報道されるのは、この時期だけのような気がします。

それではダメ。

そんなことを思いながら、今年も支援活動の報告集をつくっています。

Image227

↑後継者対策部は、校正して、青年部にチェンジしますが、今日、最終校正を終えました。

16ページのフルカラーです。大会には配布できるようにします。

この報告集に、震災直後からの石巻での支援活動でお世話になった宮城県労連の小玉さんが寄稿してくれました。

2月に石巻に行った際に、一緒にバスで見学をしたとき、はじめて小玉さんの地震発生時の様子をお聞きしました。

四谷から丸の内線に乗って移動中に地震が起こり、電車は停車したまま2時間。

震災発生後、すぐさま医療機関で働く奥さまがボランティアで宮城入りし、帰京。

「もう、昔のふるさとは残っていないと思った方がいい」とおっしゃったそうです。

そして、ご夫婦で震災後の宮城に戻り、小玉さん自身は、半年間にわたって、石巻の支援センターに寝泊りして全国からのボランティアを受け入れてきました。

そんな小玉さんの寄稿です。

私たちの生活からすべてを奪った東日本大震災から間もなく丸2年が経とうとしています。この震災での宮城の犠牲者は、死者9,534人、行方不明者1,314人、震災関連死812人を含めると宮城県だけで11,660人の方たちが亡くなっています。原発を抱える女川町の当時の人口が約9,500人でしたから、町1つが消滅した事になります。

宮城の避難者数は現在、親類などへの避難者も含めて11万2千人(うち、県外への避難者数は8千人強)となっており、そのなかの多くが県内(一部岩手県)406団地・22,095戸の応急仮設住宅で不自由な生活をしています。(それ以外に、借り上げ仮設住居が約21,400件あります)。とりわけ、特に被害の大きかった石巻市だけでも仮設住宅がなんと131ヶ所に分散しています。

 宮城では、この間、大震災発生直後から「宮城災対連・東日本大震災共同支援センター」を立ち上げ、石巻市を中心にドロ掻きのボランティア、物資支援、炊き出しなどを行なって来ました。石巻市にボランティアセンターを構えていた11年4月~9月の間には、全国の様々な民主団体、労働組合から延べ1万人を超えるボランティアの方々に駆けつけて頂き、津波で操業を停止した冷凍工場での腐った魚の処理や、床下のヘドロ掻きなどの作業をして頂きました。このボランティアには、東京土建からも書記局始め、青年部、現場の組合員さんなど大勢の方に駆けつけて頂き、専門性を活かした家屋、ブロック塀の解体や、津波で甚大な被害をもたらした広大な墓地の再建などボランティアの先頭に立ち奮闘して頂きました。

また、災対連・共同支援センターが支援物資の提供も含めて行なってきた「炊き出し&なんでも相談会」は19回を数えます。これまでの来場者は11,800人にのぼり、毎回多くの被災者から感謝の言葉をいただきましたが、逆に被災者が力強く生きている姿に、行動に参加したスタッフが励まされる場面が多数ありました。仮設住宅入居者への訪問・聞き取り活動では、「復興のスピードがあまりにも遅い」など行政への不満が多く聞かれます。復旧・復興遅れの要因として自治体職員の不足が挙げられます。行財政改革と広域合併による県と市町村職員の削減が今回の震災では各自治体に大きな困難をもたらしました。(宮城全体では震災前の5年間で4,600人の削減が行なわれた)早急な職員の増員を求めて取り組みを強化していく必要があります。災対連として国や県への強力な働きかけを続けていかなければならないと思います。

 震災から2年近くたちガレキは片付き、少しずつ一歩ずつではありますが、街は綺麗になりつつあります。先日、東京土建本部書記局研修を宮城で開いて頂き40名程のみなさんに、被災地を視察して頂きました。ガレキを撤去するようなボランティアはありませんが、このように被災地に足を運んで頂き、被災地でお金を使ってもらい、現状を見て、「被災地の今」を伝えて頂く事がいま求められていると思います。

 引き続き、東京土建のみなさんの支援をお願いし、今後とも私たち宮城県労連と協力して頂ければ幸いです。

     宮城県労働組合総連合(宮城県労連)事務局次長 小玉高弘

原稿をいただいたのは知っていたのですが、読まずに来ました。

今日、この日、きよ氏さんとあかつき印刷の森くんと3人でこの報告集の校正を終えました。

そして、あらためて仲間の想いを読み込みました。

今年は何ができるか分かりませんが、基本は変わりません。

現地に出向いて、自分だちができることをする。

それだけです。

そして、亡くなられた方々に・・・合掌

 

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