続・「山田、高柳、松下が長崎原爆資料館で惨禍を学ぶ」
山田副部長の続きです。
分散会終了後は高柳くんと松下くんと長崎歴史文化博物館を見学。長崎開港やキリスト教文化の流入などについて勉強、学芸員の方の説明が頭に残る。「天正少年使節の伊藤マンショや千々石ミゲルらが訪問先でたくさんの日本人が奴隷として売買されているのを見て衝撃を受けたエピソードを現在は授業で教えません。なぜならば長崎市は大量の教会群を世界遺産登録することを目指し市民、特に子供たちからキリスト教やイエズス会が侵略前提の布教活動を行ってきた負の歴史を遠ざけ文化的発展の良い一面だけを学習してもらうためです」
その後に隣接する立山防空壕を見学
太平洋戦争中、空襲警報の発令と同時に、県知事等が集まり警備や救護の指揮連絡を行った場所。1945年8月9日には3日前に広島に投下された新型爆弾の惨禍の情報により長崎県における緊急対策を協議するため県知事や幹部が会議を始めようとした矢先に米軍の投下した新型爆弾が炸裂した。保存状態は良好、訪問者は少ない模様。
午後4時、以前高い位置から日光が照りつけるなか路面電車に乗り長崎原爆資料館を訪れる。
資料館に入る前に平和会館の前でバスガイドさんにシャッターを押してもらう。
資料館内部は非常に多くの資料が展示されている。また、なぜ長崎に原爆が落とされたかの考察や原子爆弾の構造、被曝の実相や核軍縮の経緯・到達点や展望など膨大な学習が行える。2時間の見学ではとても時間が足りない。そして学術的考察も多々散見され小学生以下には少々難解かもしれない、入口受付で配布していた学習ハンドブックが最適かもしれない。
正直、広島の資料館よりも好印象であった。理由をうまく説明出来ないが、一言でいえば本気を感じる。という事だろう。展示物製作者が後世に伝えるために全力で勉強をして見学者に核廃絶運動の担い手になってもらいたいとの思いが伝わってくる。その証拠に最後の展示物は非核宣言自治体の一覧だった、まだ加盟していない自治体の住民に議会・行政に働きかけるよう強く要請していた。
「連鶴」 長さ150mの一枚の紙から織られた折り鶴が資料館入口に展示されている
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