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2013年8月20日 (火)

好評なので山田副部長の感想全文をアップ

昨日アップした山田副部長の感想が好評なので、全文をアップします。昨日アップしたのは約2割。そのため数回に分けてアップします。

この度、わたくし山田健太は東京土建青年部から原水爆禁止世界大会へ参加する為に本部代表団として長崎を訪れました。世界大会への参加と、それ以外にも長崎の空気を吸わなければわからなかった事などの一部をここに記録します。

8月7日㈬

長崎市民会館体育館にて原水爆禁止世界大会の開会総会

冒頭、長崎の被爆者で7月6日に亡くなった山口仙二さんを偲び全員で黙祷。山口さんは反核運動の先頭に立ち国連での演説では「ノーモアヒロシマ!ノーモアナガサキ!ノーモアヒバクシャ!ノーモアウォー!」と訴え、原水禁にも毎回参加。

アンゲラ・ケイン国連軍縮問題担当上級代表は特殊な利権に群がる企業や政治家が核兵器の存在を肯定している事実を指摘「未来を創るにはまず過去から学んで欲しい」と呼びかけた。

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会場の様子

 

主催者報告した大会議長団の安西育郎・立命館大学名誉教授は「原爆犠牲者や被爆者と力をあわせて、非人道の極致である核兵器をなくそう」と呼びかけた。

 

全国の参加者が草の根で集めた新アピール署名約30万人分のパネルを掲げて登壇。原水爆禁止日本協議会の高草木博代表理事が、「署名を国連に山のように積みあげたい」と力を込めると、拍手が起こりました。

 

8月8日㈭

分科会は「映像のひろば」に参加

1

 挨拶する有原誠治監督

 

 

午前は原爆症認定集団訴訟の記録「おりづる」を上映。国を相手に裁判で29勝をして、最終確認書を交わしても今なお認定基準づくりを進めない国の怠慢を描写。完全に日本政府の裁判所軽視だと思った。被団協の最終的な要望は認定基準を無くすこと。被爆手帳を所持していれば誰でも保障を受けられるようにしたい、と主張。

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質疑に応じる有原監督ら

 

 

 

上映後の質疑応答では黒い雨の降雨図製作者の方から、内部被曝を国が認めないのはアメリカが今後も原爆を使用する気なのでは、との指摘。愛媛から参加された内部被爆者の方は映画の制作に謝辞を述べ、廃絶まで共に頑張りましょうと呼びかけ。千葉から参加された建設労組の方は千葉地裁での訴訟の支援をしてきた経験から裁判には原告・弁護士・支援者が必要。建設労働者も一緒に頑張ります、と宣言。

 

 

午後は「もうひとつのアメリカ史」第3話「原爆投下」を上映。戦後アメリカ政府が主張してきた、原爆投下の正当性(米軍兵士と日本国民の死亡者を最も少なく終戦させられる唯一の手段)を緻密な取材を基に論破。ルーズベルト大統領は戦後処理を自国に有利に進めるために日本政府の終戦工作を無視し続けた事を指摘。

 

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上映後、質疑に応じるアメリカン大学名誉教授ピーター・カズニック(左)とオリバー・ストーン監督(右)

 

 

 

映画製作の動機について、O・ストーンは武器商人と密接な関係を持つブッシュ政権が二期続いて、アメリカの戦争史を記録する映画を改めて作らなければいけないとの考えから映画を制作したと発言。P・カズニックはオリバーとコラボレーションする仕事に非常に興味があった、オリバーの家は保守派、私の家は共産主義と正反対の環境で育ったからである、そんな2人が世界に真実を伝えなければいけないという点で共同作業が出来た。と製作の経緯を説明した。

 

 

 

質疑応答では、JFKを鑑賞した事のある参加者から政治とネオコンの癒着をもっと赤裸々に暴く作品を制作してほしいとの要望にO・ストーンは本来は「もう一つの」ではなくて「語られなかった」や「教えられなかった」というタイトルにしたかったが叶わなかったと説明。またP・カズニックは自分は1961年のアイゼンハワー大統領の退任演説(軍産複合体の危険性を訴え、それがやがて政府を乗っ取り破滅的な力を振るうかもしれないと国民に向け警告)以降に癒着が始まったと認識していると回答。

 

武蔵野市から参加していた男性教員からの「唯一の戦時核攻撃の被爆国、日本において反核教育が中々根付かないのはなぜか?」との質問にP・カズニックから戦後、資本家の要求に応じて正力松太郎(元読売新聞社社主)などメディア界の重要人物が旗振り役になり核のフルスペクタルドミナンス(全てにおいての優位性)や原子力の平和利用を推し進めてきた歴史がある。核の平和利用を演出するために最初の原発は広島に作ろうとしていた。と回答。

 

 

非常に有意義な時間ではあったが両人が発言にとても気を遣い言葉を選んでいたのが印象に残った。まるで喉に魚の骨が引っかかっているかの如く。

つづく。

 

 

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