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日記・コラム・つぶやき

2014年6月18日 (水)

スマホ滞納でブラックリスト 安易な気持ちで滞納すると不利益がデカイ

注意喚起です。

「スマホ滞納でブラックリスト」2014年6月18日読売報道です。

Sumaho

PDFはこちら→「sumaho.pdf」をダウンロード

分割払いで購入した携帯電話(スマホなど)の支払いが滞ると、信用情報に傷がつき、将来のローンや融資が組めない恐れがあります。

多くの仲間がスマホを利用していますが、スマホ代の支払いは12回や24回の分割払いで、月々の通話料と合わせて支払が主流です。

ここに危険があると報じています。携帯の通話料の支払いが遅れても電話を止められるだけですが、スマホ(端末代)の分割支払いは「クレジット契約」とみなされ信用情報に直結しています。いわゆる滞納の「ブラックリスト」に載ると完済しても5年間は記録が残ります。

これから、「仕事で融資が必要だ」「住宅ローンを組むぞ」と計画している仲間は安易な気持ちで滞納しないようとくに注意が必要です。

2014年6月 3日 (火)

住宅デーでも大活躍

6月1日(日)炎天下、清瀬久留米支部清里分会は住宅デーを開催。青年部もブースを用意し子どもの人気を集めました。

青年部ブースは手作り「アンパンマン風射的」です。
拡大月間中に夜な夜な集まり作りました。

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【手作りゲームです】

いざ、当日。
大きなゴム鉄砲で的になっているアンパンマンの顔(ほっぺ、鼻)を狙います。
はずれでも景品がもらえるので、ちびっ子も楽しめました。

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他にも、ヨーヨー釣りも人気がありました。

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炎天下、運営に携わったみなさん、お疲れ様でした。

2013年4月13日 (土)

4月13日は…

昨日のやりとりは楽しそーだよねshine

ネタ元のKazyaは住職かと思うほどの早起きで

コメント入れてるし…BoseKazya…う~ん、

こーしてみるとロックな気がするねgood

楽しそうにしているのをみると、ナンだか自分も

優しい気持ちになれますね。

今日、4/13は昨年旅立ったオヤジの誕生日bell

それから13日は月命日と重なる日なのですsun

たなのキッズ達が「ジィちゃん」と呼んでいた

オヤジが「夏岳敏照(かがくびんしょう)」と

名をかえてから初めて迎える“故人”の誕生日…

お袋には特別の想い入れがあるのでしょう -

午後から家族揃って墓参りに行って来ますcar

2013年1月18日 (金)

忘れない、1995年1月17日のこと

昨日は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から18年目の日でした。

偶然見つけた、ジャーナリストの三浦誠さんのフェイスブックの記事と写真を掲載します。

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今日1月17日は、18年前に阪神淡路大震災が発生した日です。

当時、私は名古屋市の支社に赴任中。すぐに、バイクで応援取材にいきました。
初めて、足がすくむ、という体験をしました。
どこを見回しても、住宅やビルが倒壊し、住民が茫然としていました。
周囲360度が取材対象なのに、災害規模に飲み込まれて、何を取材したらよいのか、わからないのです。
他社の記者がガレキの上で取材していました。すると、住民から怒声が飛びました。
「おい!そこにはまだ人が埋まっているんだぞ!!」
ある地域の公民館は遺体安置所になっていました。手を合わせて拝んだ後に、亡骸によりそう夫婦の写真を撮影しました。
その夫が私の方にツカツカと歩み寄ってくるのです。
「殴られてもしかたない」と覚悟をしていると…。
「ほかに遺体安置所がありませんか?まだ家族が見つかってないのです。あとドライアイスがある場所を教えてください。遺体が傷まないように…」
申し訳ないことに、私は答えることができませんでした。
18年たっても震災は終わっていません。
約3万9千人が今も災害復興住宅に住みます。
ここでの孤独死は仮設住宅時代とあわせて、1011人です。
阪神淡路大震災で私たちは多くのことを学びました。
しかし、その教訓を政府が東日本大震災で生かしていると、私には思えないのです。
これ以上、災害で尊い生命が奪われることがないようにしてほしい。
政治にも、私たちマスコミにも、問われています。
合掌。
(写真は私の記事の切り抜きです)
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1995年1月17日・・・みんなは何してた?
民は東京土建の確定申告対策活動者会議で箱根にいました。
朝、テレビをつけると黒煙を上げた街並み、崩壊した高速道路からバスが傾いたままで停車。
信じられないような映像が映し出されていました。
もう、あんな大災害は、見たくないし、見ることもないだろうと思っていた。
それがダメなのかもしれないね。
阪神淡路大震災で亡くなられた6434人の8割以上が住宅の倒壊による圧死です。
そして、三浦さんの記事にある、18年たっても震災は終わっていない・・・は、悲しみを通り越して、悔しさを感じます。
地元に住み、住宅建設に携わる私たちができることは、たくさんあります。
あの日のことを忘れない。
そして、自分たちが日ごろからできることや災害が起きたときにやるべきことを考えて行こうね。

2012年12月19日 (水)

宇都宮けんじさんが事務所にきたよ

昨日の記事では、大会議案が終わらないとなっておりましたが、大会議案は終わりました。

っていうか、終わらせた、と言った方が正しいです。

昨日、職場に忘れたはずのUSBメモリーは、PCにささっておらず、もう一度確認してみると、カバンの奥底にしっかりいました(T_T)

人間、あわてているとダメっす(-"-)

さて、今日の午前中に事業所対策の議案を整理して、午後から事業所対策委員会。

専従者は自らの議案が終わっていないらしく、早く終わってほしいビームを出していましたが、こっちだって、一定の議論をしなきゃ、書き込めないし・・・ということでほぼ90分間で会議は終了。

そして、いよいよ、後継者対策&青年部の議案。

西多摩の大野主任から電話があり、議案できてますか?なんて素晴らしいタイミングだったのですが、まったく出来ておらず(-_-)

夕方にかけて少々整理して、11月の活動者会議の議案も引用して・・・・・あー、もう、いいや!って終わらせました。

あとは、会議の中で‘たたいてもらう’しかありません。

それでいいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は前後しますが、本日10時過ぎに、東京都知事選挙に立候補されて、がんばってこられた、宇都宮けんじさんが我が東京土建本部にお礼のあいさつにみえました。

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選挙期間中は、あまり顔色がよくないなぁ~なんて思っていたのですが、優しい笑顔で顔色も良かったです。

写真は・・・実は熊本県の中学では後輩(4つくらい下かな?)の告坂副委員長待遇(右)と宇都宮さんです。

宇都宮さんは、今後も脱原発、反貧困、そして憲法を守る草の根の市民運動に深くかかわっていきたい、と決意を述べられました。

そして、私たちの運動はこれからです、と力強く語られました。

同時におこなわれた衆議院議員選挙の結果はご存じのとおりです。

すでに憲法を改正できる、3分の2以上の議席が確保できたと思います。

安倍総裁は、まずは96条の改正と言っています。

憲法改正のための要件の改悪です。

そして、9条・・・。

脱原発も、反貧困も。

消費税増税もTPP参加も。

これからが勝負どころっす。

 

 

 

選挙が終わりましたので、宇都宮けんじさんの後援会の決起集会での決意表明の様子をアップしておきますね。

ホントは都知事になってほしかった・・・と思う民です。

2012年12月18日 (火)

大会議案が終わらない(-_-;)

いやぁ~、なんだか風が強いね。

帰り道の青梅街道も銀杏の葉が道路に舞っててね、あれがまた滑るんだよ。

時間と体力がないので・・・と、いうかここ数日は来年度の議案を書くために資料を持ち歩いているから、原チャリ通勤。

11月から義父母が浜田山に転居したので、公園に囲まれた我が家のまわりの掃き掃除は民の仕事。

ほうきを持っている手に力が入らなくなる・・・握力が落ちた?

そういえば、結婚指輪もゆるゆるになった・・・

まあ、当時に比べれば8キログラムくらいやせたんだけど・・・

大会議案を書くために資料を持ち歩いている一方で、そのためにUSBメモリーにデータをコピーしたのに、そのUSBを持ち帰るのを忘れた民。

いかん・・・

議案は3つあって、1つは終わった。

2つ目に着手したのに、データを忘れた。

それでは、3つ目ということで、自宅で書くのだが、以前、何かで書きこんだ・・・という資料がない。

職場かぁ~

と、まあ、こんなことを繰り返し、3つ目の補足部分(議案には生々しく書かないのだが、専従役員会議では提案しておきたいこと)は書き終わりました。

明日は、事業所対策委員会。

レジュメはつくったけど、次年度の大会議案は職場に忘れました。

てな訳で、明日、早めに職場に行って準備します。

大会議案討議の一泊専従役員会議は、明後日(-_-;)

どうする?

まあ、ボコボコに打たれてくるか(T_T)

追伸

本日、12月18日、建設アスベスト訴訟の原告団は、12月5日の地裁判決を不服、というか、心一つにして全員が勝訴するまでたたかう決意をし、控訴しました。

原告団は私たちの代表、その代表であるみなさんを支えていくのが私たちの役割です。

命あるうちに解決を!

政権も変わる、きな臭い状況にもなってきた。

いよいよもってこれからが、私たちや国民のみなさんの運動にかかってきます。

がんばろう、と自分で決意っす。

2012年12月 9日 (日)

年が明ければ・・・(-"-)

昨日は、少々気も滅入ってしまい、ブログはお休みしました。

前記事の最後に書いたとおり、所沢までお通夜に行ってきました。

直接のかかわりはないのだけれど、一緒にPTA活動をした役員さんのご主人が急逝しました。

突然の訃報だったので、死因は分からないまま。

聞くこともできず。でも、事故ではない様子。

以前、「結婚の馴れ初めは?」なんて、飲みの席で聞いたことがあり、同級生だって言ってたから私とも同じ年のはず。

うちの悠(中3)の二つ上のお兄ちゃんと中2の弟くん。

ふたりともサッカーをやっていて小学校の時から知っています。

そんな二人の同級生や後輩たちももたくさんお通夜に来ていました。

40歳代前半で亡くなる。

残された家族はもちろんだけど、本人だって無念だと思う。

これからの子どもたちの成長、自らの仕事や生活・・・この年になったって、夢や希望はたくさんある。

今は、やすらかにお休みください、としか言いようがない。

それにしても、今年は身近な人が、しかも40歳代、50歳代の現役、働きざかりの人たちの死に直面してきた。

年齢的には親が亡くなったり、倒れたりする世代。

結婚式よりもお葬式の方が、圧倒的に多い世代。

そして、自らの体にも変調が出てくる世代なのかもしれない。

毎日、あたりまえのように子どもたちと接し、この子たちの成長が日々の希望だったりする。

もちろん、大好きな組織活動も、多くの仲間の成長や変化も楽しみなことの一つ。

でも、突然、倒れたりしたらどうなるんだろう?

所沢からの帰りの車の中で、一人そんなことを考えていた。

年が明ければ、45歳。

四捨五入すると50歳(-_-;)

そんな歳を迎えます。

2012年12月 4日 (火)

いよいよ明日、建設アスベスト訴訟の判決日

私は2003年、2004年と東京土建(労組)が母体となっている東京土建国民健康保険組合に出向しておりまして、本部・労働対策部と一緒に職業病対策に関わっていました。

2005年に本部に戻り、仕事対策担当になってからも、機関紙にこうした記事も書いたりして・・・

この記事の最後に書いた・・・

アスベストの被害にあわれた仲間やその家族の思いを集め、国や製造企業の責任を追及することが改めて私たち建設労働組合の使命である

そう、その使命をもって国とアスベスト製造企業を相手にたたかってきた首都圏建設アスベスト訴訟の東京地裁判決が明日、12月5日にいい渡されます。

今日(12/4)のしんぶん赤旗には、本部の三宅さんがこの裁判の意義について語っています。

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良く見えないと思うので「image071.pdf」をダウンロードしてみてください。

首都圏建設アスベスト訴訟は、建設現場で建材に含まれるアスベストの粉塵にさらされたために中皮腫(ちゅうひしゅ)や肺がんなどを発症した建設産業で働く仲間と遺族が、国と建材メーカーに損害賠償をもとめて、2008年に提訴しました。

その判決がいよいよ明日です。

2005年のクボタショックから7年、訴訟の準備から含めると5年余り・・・この間に本当に多くの仲間、先輩たちが苦しみながら亡くなっていきました。

5月の横浜地裁は、全面棄却=我慢しろに等しい不当判決を言い渡しました。

東京地裁の判決は当初、9月26日を予定していましたが、明日(12/5)に異例ともいえる延期。

それだけ、書き込んでくれているってこと?

仲間と家族のみなさんの無念の想いが届いてほしい。

おりしも、11月の終わりに府中国立支部の委員長であった本間義孝さんが亡くなられました。

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自らも病とたたかいながら、当時結成した呼吸器系疾患患者と家族の会=はなみずきの会の役員として仲間と家族を励まし続けてくれました。

当時の「はなみずき通信」は、私のフォルダに保存されています。

はなみずきの会も来年で結成から10年を迎えるんですね。

本間さんの想いも含めて・・・明日は仲間と家族のみなさんの笑顔が見られることを願ってやみません。

2012年9月14日 (金)

北海道日高乳業

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朝、北海道日高乳業が目に入り、購入したが非常に甘かった(-_-メ)

なんで、日高乳業かと言うと、父が働いていた会社だから。

でも・・・1985年、当時インスタントコーヒーで有名なネッスルの子会社?だったのかな、突如として工場閉鎖となり、茨城県は土浦から少々入ったところにある桜川村の工場に転勤を命じられる。

なんでも・・・ニドの原材料が牛乳=動物性脂肪から植物性脂肪に変えるからとか。

その当時、民は17歳の高校3年生。

父は、う~ん46歳だったんだね。

会社側のロックアウトと無給でたたかうこと2カ月・・・父は茨城県に単身赴任となりました。

そんなこともあって、高校卒業と同時に家族で内地(北海道では本州のことを‘ないち’と呼びます)に転居したの。

そして、1か月足らずで東京に出てきました。

あれから27年・・・ロックアウトとたたかった父と同じような年になりました。

茨城県に転勤になる直前に「日高乳業は元に戻るよ」って言ってた父。

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そのとおりになりました。

富川は18年間くらした、私のふるさとです。

2012年8月11日 (土)

京建労左京支部の学習会に行ってきますぅ

2日連続で午前3時45分起き。

そんな生活も今日で終わり。

そう、オリンピックの男子サッカーも終わってしまいました(決勝戦はまだだけど・・・)。

う~ん、そりゃあメダルが欲しかったね、って言えばそれまでだけど、あの世代としては試合を重ねるごとに強くなっていったし、将来的にはA代表になっていく選手たちだから、自分たち自身の課題を明らかにしたり、経験値をあげていくためにも、ベスト4は素晴らしい結果だと思います。

心からお疲れ様でした、と言いたいです。そして、ありがとうです。

さて、オリンピックもあと数日。

世の中はお盆の帰省ラッシュがはじまっているのですが、管理者・民は今日から京都に出張します。

明日の日曜日が京建労左京支部の幹部学習会なの(京建労=全京都建築労働組合ね)。

このブログを通じて交流してたんだけど、講師として呼ばれました。

お題は「仲間のつながりこそ最大のメリット」

う~ん、壮大なテーマ。

情勢とか、拡大の意義とか、役員・幹部の役割とか・・・そんなんじゃないの。

だから、組合チックなレジュメはやめようと思ってつくったんだけど、やっぱり、組合チックになりました(-_-;)

ってなことで、こんな京都の仲間に会いに行きます。

これは約1年前のもの。左京の仲間の被災地支援はここからスタートっす。

今日の夜はね、主婦の会の納涼会?なんだって・・・そこにもお呼ばれしたので前泊っす。

それでは、行ってきます。

暑いんだろーなぁ~(-"-)

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